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2025.09.03
コラム今の札幌は「東京の代わり」だった?
〜明治政府の知られざる計画〜
✅「なぜ札幌が北海道の中心になったのか?」
いまや200万人都市として発展した札幌。
でも、もともと北海道の中心は「函館」や「小樽」だったことをご存知でしょうか?
それなのに、なぜ札幌が北海道の中心都市になったのか?
実はそこには、明治政府が“東京の代わり”として札幌を計画していたという、あまり知られていない背景があります。
🏯戊辰戦争と「北海道防衛」の危機感
1868年、戊辰戦争のさなかに、榎本武揚ら旧幕府軍は函館に拠点を置き「蝦夷共和国」を樹立しました。
この出来事で、明治政府は痛感します👇
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北海道は、外国勢力(特にロシア)に狙われやすい
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既存の港町(函館)は外敵に脆弱
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北海道全体を国家的に管理・防衛する必要がある
この危機感が、開拓使設置(1869年)、そして札幌建設の大きな原動力になりました。
🗺️札幌は「東京をもう一つ作る」計画だった
開拓使が札幌を拠点に選んだのは、ただの偶然ではありません。
札幌は 「北の首都」「東京のバックアップ都市」 として計画されたからです。
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内陸にあり、外敵の攻撃を受けにくい
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石狩川の流域で交通と農業に有利
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ゼロから都市計画を導入できる平坦な地形
これらを理由に、碁盤の目の都市構造・官庁街・居住区分けなど、まるで「小さな東京」のように設計されました。
事実、札幌の官庁街(大通周辺)は、東京の霞が関を参考にしてつくられたとも言われています。
🏛️島義勇と「東京コピー計画」
札幌の都市設計を主導したのが、開拓判官の島義勇(しま・よしたけ)。
彼は江戸(東京)の街づくりの知識を活かし、以下の計画を導入しました👇
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大通を「防火帯」兼「メインストリート」として設置
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官庁街・住居区・商業区を明確に分ける
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東西南北の碁盤の目を採用し、住所も合理化
これらはまさに「東京型の都市モデル」を札幌に落とし込んだものでした。
札幌は、単なる地方都市ではなく、戦略的に“第二の東京”として作られた都市だったのです。
🚂札幌を中心とした北海道一体の計画
明治政府は、札幌を軸に北海道全体を「近代日本のフロンティア」として発展させようとしました。
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小樽 → 港湾都市(札幌の外港)
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函館 → 通商・海軍拠点
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札幌 → 政治・行政の中心
このトライアングルのバランスをとりつつ、札幌を行政の首都として機能させる方針が進められたのです。
つまり、札幌の街は「ただ便利だから発展した」のではなく、国家レベルの計画都市だったということ。
📖なぜ札幌が“東京の代わり”にならなかったのか?
もし歴史が少し違っていれば、札幌は今よりもっと「日本第2の首都」としての役割を担っていたかもしれません。
しかし現実には👇
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北海道開発の財政負担が大きすぎた
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東京一極集中の流れを止められなかった
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開拓使の汚職事件(官有物払い下げ事件)で札幌の計画が縮小された
これらの要因で、「東京の代わり」としての札幌構想は実現しませんでした。
とはいえ、碁盤の目の街並み・行政の拠点機能・合理的な都市設計といった“国家プロジェクトの名残”は、今の札幌に確かに息づいています。
💬札幌は「東京の代わり」として設計された街だった
札幌がここまで発展した理由は、自然な成り行きではなく、
明治政府による国家的な都市建設プロジェクトの結果でした。
「東京の代わり」にはならなかったものの、
その壮大な計画の跡が今の札幌の街並みに残っていると考えると、
普段の通勤路や大通公園の景色が、少し特別に見えてくるかもしれません。
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