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2025.09.16

コラム

札幌の不思議:大通公園はなぜ東西に伸びる?

札幌の不思議:大通公園はなぜ東西に伸びる?

札幌の“背骨”と呼ばれる公園


大通公園は、東端にテレビ塔、西端に札幌市資料館を抱え、全長約1.5km・幅約65mにも及ぶ細長い公園です。12ブロックにわたり、春はライラック、夏はビアガーデン、冬は雪まつりと、季節ごとに市民の生活と密接につながっています。
しかしこの公園、なぜ「南北」ではなく「東西」にまっすぐ伸びているのでしょうか?

原点は「防火帯」だった 🔥


開拓期の札幌は、木造建築が中心。火災が一度起きると、碁盤の目のように整った街並み全体へ一気に燃え広がる危険がありました。
そこで、都市を大きく二分し、延焼を食い止めるために設けられたのが 火防線(ひぶせん) です。
明治4年(1871年)、開拓使による本格的な都市計画で、幅約65mの広大な空間が札幌の中心に設けられました。これが後の大通公園となります。

東西に伸びる理由は「都市計画」 🏙


なぜ南北ではなく東西だったのか?
それは札幌の街が「官庁街」と「市街地」を明確に分けて計画されたからです。

  • 大通の北側:官庁街(役所や公共機関を集めたエリア)

  • 大通の南側:商業・住宅街(人々が暮らし、商いを行うエリア)

境界線となる大通を「東西」に走らせることで、両エリアを分断し、かつ街の中心軸として機能させたのです。
つまり大通公園は、ただの防火帯ではなく、都市計画そのものを象徴する「線」だったのです。

公園へと姿を変えるまでの道のり 🌱


火防線として設けられた空間は、当初はただの広場や空き地のようなものでした。
しかし時代が進むにつれて、「せっかくの広い空間を市民が楽しめる場所に」という流れが生まれます。

  • 1909年(明治42年):北海道庁技師・長岡安平の設計で本格的な公園整備が始まる。

  • 昭和初期:噴水や花壇が設置され、市民の憩いの場として認知される。

  • 戦後以降:雪まつりなどのイベントが定着し、全国的に有名な観光スポットへ。

「防災」から「観光・文化」の拠点へと変化したのが大通公園の歴史です。

市民とともに育つ公園 🌸


大通公園は単なる緑地ではなく、札幌市民の生活そのものとつながっています。
昼休みにベンチでお弁当を広げるサラリーマン、夏にビールを片手に集う人々、雪まつりで雪像を作るボランティア…。
こうした日常の積み重ねが、大通公園を“生きた公共空間”にしています。

豆知識 💡


  • 大通公園の総面積は 約7.8ha。

  • 幅65mという広さは、一般的な道路の約10倍。

  • イベント利用率は年間を通して非常に高く、「常に何かが行われている公園」とも呼ばれる。

まとめ 📍


大通公園が東西に伸びる理由は、 防火と都市計画 にありました。街を守る防火帯として設けられ、官庁街と市街地を分ける境界線として整備され、やがて市民と観光客の憩いの場へと進化。
今日もこの公園は、札幌の街の中心で、市民生活と歴史を静かに語り続けています。

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